この里に住む人々の暮らしを、おりおりにご紹介します。

 ロウセキ鉱山跡 干俣
 溶鉱炉

夕刻、何気なしにテレビを付けると、知人の顔が飛び込んできた。何事かと思って画面に近づき、音量を上げる。レンガの窯の説明をしている。夜一杯飲んだら、若葉を切り裂くように聳えるその映像が気になり、知人に電話して現場を案内してくれるよう依頼する。
そして知る。知人が仕事の合間に、この鉱山の資料を集めていた事を。
 溶鉱炉

6月10日、知人から電話があり、鉱山跡を案内してくれると言う。軽トラックに同乗し、干俣・本沢添いに草深い林道を進む。知人から当時の様子について話を聞く。「ロウセキ」子供の頃、チョークの代わりに白線を引いて遊んだ石。私達の世代は記憶の1ページである。耐火性に優れ、現在では、セラミックの外、化粧品、プリンター用紙などにも使われていると言う。
 ロウセキ鉱山跡 干俣
 採掘跡

戦時中、ロウセキが耐火煉瓦や金属アルミニュームの原料になると言う事で、軍部の後押しを受けて操業したとの事。最盛期には、250人程の工夫が、干俣部落の民家に分宿して採掘を行い、干俣は空前の賑わいを見せたと言う。採掘跡には今でもロウ鉱石が転がっている。50年以上の時を経て、肌をさらすその光景は、まさに「夏草や兵共の夢の跡」である。
 採掘跡

終戦で採掘は一時中断したが、昭和26年、2基の溶鉱炉が作られ、生鉱石と焼成品の生産が再開されたと言う。しかし、火災による事務所の消失と鉱脈の尽きた事により、昭和38年、鉱山はその歴史を閉じたと言う。
幾霜月、何事も無かったように、悠然と構える2基の窯。我が故郷の歴史である。後世に残すべき史跡である。

    (嬬恋村 下谷通氏資料提供)

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