『挫折だけが人生さ』と言うような中年男が感じる、故郷への慈しみを発信します。


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   シメナワ

 土蔵の横に梅の老木がある。その根元にフキノトウが4つ並んで顔を出している。明け方の強い霜に打たれても、紅の混じった薄みどりの葉は色を変える事もない。今年は暖冬だ。土壁と歪に伸びる梅の枝に光を遮られ、僅かな西日しか射し込まない場所で、フキノトウが土を割っている。例年それと気づくのは、陽が伸びてくる3月の初めである。溶けだした雪の割れ目から、頭を覗かせたその姿に春の訪れを感じたものだ。

 師走も残すところ10日と言うのに、今年は未だ雪らしい雪が降らない。朝はマイナス4度、5度と冷え込むのだが、日中には気温が上がり12月下旬とはとても思えない。何年か振りで雪の無い正月になるかも知れない。16日の大安に門松は切ってきた。何時もより少し早いが、神社の松を切りに行ったついでに、家の分も下ろしてきた。入院中の母が何度か厳しい状況に陥り、門松は立てられないと思っていたので勇んでいる。

 例年、母は12月の半ばを過ぎると、門松やシメナワの心配をしていた。松を切りに山に入った人などいないと言うのに、明日にも松が無くなると言うような形相で父親を急かしていた。私の父は几帳面で器用な人間だったので、黙っていても時期がくれば三階の松を下ろしてくるし、他家に負けないシメナワを作っていた。寡黙な父はこんな母とどんな気持ちで接していたのだろうか。今となっては知る由もない。

 父の死後、当然の事として正月の準備は私の仕事となった。父が没した翌年、12月も半ばを過ぎると、例の如く母はソワソワしだした。松は何処で切る。シメナワはどうする。母が私に言いたいことは解っていたが、私は母をわざと無視していた。20日を過ぎると、母はとうとう我慢出来なくなって、私の妻に当たったようだ。私には藁も松も当てはあった。ただ、父親とは違うぞと言う所を母に見せておきたかったのだ。妻に苦言を呈された私が、思わず母を一喝すると、母はコタツの隅で小さくなっていた。

 私は母の病室にいる。私に気づいた母が目を開ける。顔色が良い。脳梗塞の影響で言葉は出ないが、私である事は解っている。私が声を掛けると、母はニッコリと笑う。少し前、姉が不満そうに私に言った。姉と私では母の表情が違うと。私は姉を慰めた。一緒に過ごした時間と喧嘩をした回数が違うからと。しかし、姉は納得が行かない様子だった。母の入院で一番大変だったのは姉なのだから、もう少し笑ってやればいいのにと私も思う。

 母が動く左手を挙げようとする。私は干からびたその手を握ってやる。そして母の耳元で叫ぶ。門松もシメナワも準備したから心配しなくていいと。もう一度繰り返す。母が笑う。何か喋りたそうに唇を震わせるが言葉は出ない。私は握った手に力を込めて、無理をしなくていいからと母に語りかける。突然母の目元が赤くなり、一滴の涙が母の頬を濡らす。
  
  2006/12/22

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