赤トンボ
僅かに西日の射し込む部屋で母は目を閉じていた。午後、ここを訪れるのが私の日課だ。私が耳元で声を掛けると母は目を開く。白内障を病んでいるので直ぐに焦点は合わないが、声で私だと解るのかニッコリと微笑む。義歯を外して窪んだ唇が微かに震える。しかし、言葉にはならない。母は口から食事を摂る事が出来ない。鼻からの管を通して胃に運んでいる。枕元に置かれたラジオから、女性の澄んだ声が流れてくる。
二週間ほど前、母の横にぼんやり立っている私に看護師が言った。ラジオがあったら持ってきて下さい。リハビリの時間以外は寝ているので少し刺激を与えてやりたい。妻や私の姉妹は、手足を擦ったり目の回りを拭いてやったりしているが、私にはどうしてもそれが出来ない。熱があるかどうか、額に手をやる程度だ。黙って立っている倅よりも、ラジオの方が母の為になると言う訳か、と一瞬自虐的になったが、言われて見ればもっともな事だ。
家にも娘達が使ったラジカセが2台あるのだが、病室に持ち込むには大きすぎる。何より操作が複雑で私が使うにも苦労する。私は新しく購入する事にした。枕元にあるのは私が家電量販店で買い求めたものだ。小さくて操作が簡単で安いことが選んだ基準だ。それにしても安い。昔、3畳一間で使っていたラジオと同じメーカーだが、きっと中国製なのだろう。一夜の飲み代でラジオが買えると思うと、酷く不思議な気がする。
先日、私は担当の女医から母の病状の説明を受けた。家に帰る事を目標に治療とリハビリを進めてきたが、高齢のため急速な回復は望めず、一進一退を繰り返している。発熱があるのでその原因を確かめ、短期間でも自宅に戻してやりたいと思っている。頑張って前橋から隣り町まで来たのだから。女医は真剣な眼差しで私に話してくれた。
そう言えば母が家を出てからちょうど1年になる。あの日、直ぐに戻ってくるからと母は姉夫婦の車に乗り込んだ。まさかそのまま家に戻れなくなるとは、夢にも思っていなかっただろう。あの朝も今朝と同じように酷い霜だった。辺り一面、片栗粉を播いたような風景だった。黄色いイチョウの葉さえも白く見えた。そんな寒い朝、せっかちな母はいつもより1時間も早く起きだし、支度を整えて姉夫婦の迎えを待っていた。
枕元のラジオから子供達の歌声が流れきた。『夕焼け小焼けの赤トンボ、負われて見たのはいつの日か・・・』私は思わず母の耳元で大きな声を上げる。「かあやん解るか」「昔よく歌ってくれたんべ」母が私を見つめる。『山の畑の桑の実をお篭に摘んだは幻か・・・』「解ったと言ってくれ」私は叫ぶ。
母が何か話したそうに唇を動かす。しかし、言葉にはならない。
2006/11/13
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