カルピス
東京の夏は蒸し暑い。粘りつくような夜の帳の中で、私はランニングシャツ1枚で机に向かっている。銭湯で体にまとわり付く汗と垢を落としても、3畳一間に戻る頃には体はじっとりと汗ばんでくる。街は7月の重さにじっと耐えていた。私は父に手紙を書いている。夏休みに同級生2人が嬬恋に来る事になった。3人で万座温泉から志賀高原に抜けようと言う計画である。発案したのはクラスの優等生だ。彼は地図を片手にルートを決めていた。手馴れている。最初と最後に我が家に泊まる予定だと父に綴る。
同級生とのトラブルも一応解決し、後は夏休みを待つばかりだ。喧嘩相手とは平静を保っているが、お互いにぎこちなさは隠せない。矢張り心の片隅にはわだかまりがあるのだろう。後は時間が解決してくれるのを待つしかない。仲裁をしてくれたTには感謝しなくてはならない。実は彼も誘ったのだが、Tは野球部のキャプッテンとして練習に忙しく、それどころでは無い様子だった。夏の都大会は1年生だけのチームで初戦敗退したが、翌年に向けて既に練習を始めていた。
下から長女の声がした。私が3畳一間から顔を出すと、降りてこないかと誘ってくれた。何事かと少し緊張する。半そでのシャツに着替え、私が居間に下りて行くと、主人と次女がテレビを見ていた。「東洋の魔女」の親善試合だ。私がバレーボールの好きな事を知っていて、彼女は誘ってくれたのだ。東京オリンピックが近づきテレビが凄い勢いで普及していると新聞などが報じていた。白黒の画面に選手達が躍動している。私は宮本選手が好きだった。中学時代から憧れの選手だ。
試合が終わると長女が氷の入ったカルピスを出してくれた。主人がコップに口を付けながら私に話しかける。普段彼と話をする事は余り無い。東京の生活には慣れたかと聞くので、私は東京の蒸し熱さに参っていると答える。主人は小柄である。彼と娘2人を並べて見ると、長女がよく似ている。目元がそっくりだ。次女の方は母親に似たのだろうか。長女は小柄だが、次女の背丈は私と変わらない。私はカルピスを飲み干す。甘酸っぱい味が体に溶け込む。夏休みはどうするのかと長女が聞く。休みになれば直ぐ帰郷すると私は答える。次女は黙ってテレビを見ている。
私が立ち上がろうとすると、突然主人が私に言葉をかける。明日仲間の集まりがあるから出ないかと。一瞬私の頭が空白になる。階下には時々多くの人が集まってきて、遅くまで懇談している。私はそれが何か解っていた。私が困惑した顔をしていると、長女がその話は止めた方が良いと父親をたしなめる。主人は黙りこむ。少し気まずい雰囲気になり、私は礼を言って部屋を出る。長女が「ゴメンネ」と私の背中に語りかける。
私は振り返り彼女に平気ですと答える。そして心の中で長女に感謝する。
2006/10/24
|
|
|