『挫折だけが人生さ』と言うような中年男が感じる、故郷への慈しみを発信します。


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   折込み

 少し色づき始めた山並みが秋の雨に霞んでいる。谷間に沸いた霧がゆっくりと鈍色の空に消えていく。秋の空は3日と続かなかった。昨日は汗ばむような陽気だったのに、今日は一転して晩秋を感じる程肌寒い。私は集落の裏道を歩いている。夕暮れと言うのに人気も無く、物音一つしない。道脇に桂の大木がある。根元には屋敷神様が祭られている。そこは私の母が生まれた屋敷だ。子供の頃、私はそこで従妹達とよく遊んだ。桂の木の一段下には、栗や小柿が植えられていて、この時期、腹を空かせていた私達には格好の遊び場であった。
 
 恩師の自宅は桂の大木の先にある。所帯を持つまではしばしばそこを尋ねた。学生時代には帰郷すると真っ先に伺った。上京の道を開いてくれた師である。皮のスリッパでビンタを貰ったこともあるが、それは時間が経てば良い思い出である。東京の土産は近況報告だ。たまには銘菓などと思ったものだが、ギリギリの生活でその余裕も無かった。それでも恩師と奥さんは私を暖かく迎えてくれた。
 
 私が東京での勤め人生活を切り上げて、帰郷してからもその関係は続いていた。結婚の仲人もお願いした程である。学生時代ほど口泡を飛ばせて議論する事は無くなったが、深夜まで四方山話を交わしても、お互いに飽きることは無かった。たまには奥さんが酒を出してくれた。恩師は余り飲めなかったが、日本酒をチビチビ舐めながら酒豪の私に付きあってくれた。私の方は年を増すに連れて話しが俗になったが、恩師の方は老いても意気軒昂で、その激しさには感心させられた。学徒出陣の青年将校上がりは伊達でない。
 
 その関係に変化が生じたのは7年ほど前である。ある一件がきっかけで仲たがいしてしまったのだ。勝手に私がそう思っていたのかも知れないが、私が恩師を尋ねることは全く無くなった。私は心の中でその存在を打ち消そうとしていた。そんな状態が続いていたが、夏に調べ事で恩師を尋ねたのを契機に、再び交流が始まった。7年余の歳月が恩讐を彼方に押しやったようだ。恩師も大分年をとった。私も年相応に老けた。私がたまに畑で出来た野菜を持って行くと酷く喜んでくれる。2人の関係も枯れてきたのだと思っている。
 
 私が脇に抱えた封筒には、先日の新聞折込みで見つけた恩師の一文が入っている。それは村が「高峰高原」と呼ばれる土地を売却する事に反対する旨の意見表明であった。嬬恋村誌研究家の肩書きが付いている。恩師らしいと思ったが、7年前の一件が胸をよぎり、私にはその文面を素直に受け入れる事が出来なかった。2度読んで見た。しかし村当局に対する師の立場が明確には伝わってこなかった。恩師は現在の行政責任者の生みの親である。それは疑いの無い事実だ。私はその責任と文章との矛盾について、一度話をして見たいと思っていた。
 
 石段を下る。縁側に出る。積み上げられた書籍に隠れるようにして恩師が座っている。私はガラス戸を開ける。
 
 2006/10/14

 26 秋雨前線
 27 イナカッペ
 28
 29 油蝉

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