娘
道脇のナツハゼの葉がにわかに色づき、秋の気配が忍び寄る。私は昨夜遅く帰郷した上の娘を乗せて、母の病院に向かう。娘はここ三週間、週末になると戻って母を見舞っている。無理をしなくても良いと言うのだが、娘は10月に入ると忙しくて帰れないから、と話す。新幹線を使えば東京から1時間強で軽井沢に着くと言っても、仕事を終えてからなので、早くても午後8時過ぎになる。昨夜も私が迎えに行ったのだが、車に乗るなり大きな欠伸をする娘を見て、こちらも少し可哀そうになる。
私には2人の娘がいる。共働き夫婦の私達に代わり、娘2人は母が子守をした。母は60半ばから再び幼子の面倒を見る事になったので、最初は戸惑っていたようだが、生来の負けず嫌いが功を奏したのか、何とか無事に2人の娘を育て上げた。当初、私は大きく腰の曲がった母が、赤ん坊を旨く背負うことが出来るか心配したが、そこは5人の子供を育てた経験が生きたのか、結構器用に背負って子守をしていた。
物心の付いた娘2人は、私が母と些細なことで言い争いをすると、必ず母の見方をした。私が、如何して母の見方をするのかと娘達に尋ねると、2人は口を揃えて、自分達はおばあちゃんに育てられたと答える。母に小言を言っている私の背中に、2人の小さなキックが飛んで来たこともある。母に対して娘達には私とは違った思いがあるようだ。前橋の病院に入院していた頃も、上の娘は日帰りで何度か病院を訪れた。その頃は充分話しも出来たので、母は本当に嬉しそうに娘と雑談していた。娘を見る時の母の顔は違う。
入院して3ヶ月が経った頃、病院を訪れた私に母は突然言った。自分はもう駄目だから娘2人を立派に育ててくれと。リハビリに入ると発熱し、先が見えない状態ではあったが、私はそれを聞いて一瞬痴呆が出たのかと疑った。元気であれば喧嘩ものである。両親がついているのだから余計な心配はしないで欲しい、と言いたい。姉にこの話をすると、姉も母に同じ事を頼まれたと言う。まんざら痴呆だけでは無いようだ。いかにも世話焼きの母らしいが、それでは私と妻の立つ瀬が無い。
病室のドアは開け放されていた。窓から秋の陽が射し込み、部屋は眩しいほど明るかった。母は静かに寝ている。様態は落ち着いている。3週間ほど前事態の急変を心配したが、モニターの心電図も元に戻っているようだ。娘が枕元で声を掛ける。母がうっすらと目を開ける。娘がもう一度おばあちゃんと呼ぶ。また帰って来たよと続けると目を大きく開く。顔が少し赤みを増す。モニターの脈拍が跳ね上がる。母が左の手を動かそうとする。娘はその手を撫ぜてやる。母の頬が緩む。笑っている。
2006/10/02
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