現金書留
月末が近づくと自転車のベルの音が待ち遠しくなる。仕送りが底をつき、田舎から送られて来るはずの現金書留を今か今かと待っている。3畳一間で所在なく横になっていると、リンリンとベルの音が近づいて来る。玄関が開く音がする。滝沢さん、現金書留です。野太い声が2階に届く。私は印鑑をもって軽やかに急な階段を下る。郵便配達夫が差し出す巾広の封筒には、流れるような字で中野区鷺宮の住所と私の名前が記載されている。見慣れた父の字である。非常に達筆で羨ましいほどだ。私は受領証に印鑑を押し、封筒を受け取る。そして2階に駆け上がる。封を開くと手紙と現金が出てくる。私は手紙に目を通す。元気でやっているか。始まりはいつも同じである。健康に留意して頑張ってくれ。終わりもいつも同じだが、何故か田舎の匂いがして、少し胸が熱くなる。
毎月20日を過ぎると私の懐は寂しくなった。人並みに生活費を送って貰っているのだが、生来計画性の無い故か、何処かで浪費をしてしまい、そのツケが最後に来ると言う訳だ。金が窮屈になると先ず夕食が簡単になる。昼食は学校でパンと牛乳を買って済ますので、これ以上の節約は難しい。夕食のおかずを減らすのが一番簡単な方法である。白米に生卵をのせて醤油をかける。そこに海苔でものれば上出来である。月末にはこんな生活が続く。すると、見かねた下宿先の長女が、焼き魚を一切れそっと分けてくれる。そして風呂代はあるのかと心配してくれる。彼女の世話好きな言葉に田舎の母を思い出す。
仕送りの中から先ず家賃3千円を長女に渡す。彼女はそれを受け取ると、今月は月末までキチンと持たせてねと言う。おせっかいな奴と思いながらも、私は素直にはいと答える。仕送りが届くと急に気分が豊かになる。その日の夕飯は外食だ。私は駅前の定食屋に向かう。上京して暫くすると、東京の生活に慣れた私は外食を覚えた。店はカウンターに十人も座れば満席だが、夕食時には若者で混雑している。私はそこの日替わり定食が気に入っていた。夫婦だろう。力士を想像させる親父と小柄な女性がカウンターの中で汗を流している。魚を焼く煙と野菜を炒める湯気が換気口に吸い込まれていく。
最初に外食をしたのは中間テストの前夜だ。食事の支度をする時間が惜しかったと言うより、面倒に思えた。そこで駅前の定食屋に飛び込んだと言う訳だ。一食百数十円かかるのは痛いが、試験で頑張れば田舎の父母は許してくれるだろうと勝手に解釈して、テスト期間中そこを利用した。それがきっかけで、その後も時々その定食屋を利用する事になった。勿論、毎日そこで夕食を食べていたのでは仕送りが持たないので、月初めが主であるが。それ以外は相変わらず、大家の台所で食事の支度をしていた。大家一家では、主と次女が台所に立つ事は余り無く、殆んど長女が一人で切り盛りしていた。
ある日、並んで夕食の準備をしていた私に、長女が突然尋ねた。将来はどうするの。田舎に帰るの、それとも東京に残るのと。それは当時の私には難しい質問であった。嬬恋から東京に出るのが目的で、その後の事は余り考えていなかったのだ。私は、未だ解りません、大学までは行くつもりです、と答える。小さな鍋のふたがカタカタと音を立てる。彼女がもう煮えたわよと言う。私は慌ててガスを消し、彼女を見つめる。
2006/08/27
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