迎え火
褪せた電球の光を求めて虫達が飛び込んでくる。八月の蒸し暑い夜。私や弟が破った障子の穴や、建て付けの悪いガラス戸の隙間から舞い込み、電球の傘の周りをうっとうしい程に飛び交っている。バタバタと障子紙を叩く羽音がする。母はそれに気づくと私に障子を開けてやれと言う。私がすべりの悪くなった障子を押し開けると、子供の手の平ほどある真っ白い蛾がふわりと入ってくる。母はそれを見て私達に言って聞かせる。父の兄達がお盆に帰って来たのだからいじめないようにと。お盆が近づくと蝶や蛾に姿を変えて、故郷に戻ってくると言うのだ。一匹目は長兄。2匹いれば次兄。小さい私はこわごわとその後を追う。そう言えばお盆が近くなると、大きな蛾や蝶がよく家の周りを飛んでいた。伯父達が本当に姿を変えて家に戻ってきたのだと、子供心に恐れを持って見守っていたものだ。
8月13日は迎え盆である。夕方になると麦わらを燃す。若い頃の母は私や弟によく歌わせた。盆さん 盆さん この灯で来ておくれ。麦わらが勢いよく燃え、灰色の煙が揺れながら暮れかけた空に昇って行く。隣の庭先からも煙が上がる。パチパチと麦わらのはじける音がする。熱い1日が終わり、ようやく大気が冷めだす頃、村中で麦わらが焚かれる。仏壇の前には、軍服姿の伯父達の写真が飾られている。母は、死んでも背嚢を背負わされて可愛そうだと話していた。しかし外に適当な写真もなく、今でもそれを飾っている。写真の前には二人が貰った幾つもの勲章や階級賞が並ぶ。その中に金鵄勲章がある。長兄が満州で武勲をたて貰った物だと言う。これは私の祖父の自慢であった。素材は金の筈だが、当時既にメッキがはげ、子供心にも金製とは思えなかったが。
もう8月か、お盆には帰らなければ。母が見舞いに訪れた人達に答える。転院早々発熱し心配したが、熱も下がりようやく安定してきたようだ。隣街の病院に移ったので、親戚や母が世話になっている近所の人が見舞いに来てくれる。私がいよいよ8月だと言うと、未だ6月だと思っていたと驚く。8月は母にとっても特別な月には違いない。熱い夏、農作業に追われる中での終戦。そして、先に逝った父も帰ってくるお盆である。今では麦を作らないので、迎え火、送り火は稲藁を燃やす。8月に入ると母は誰から貰ってくるのか、稲藁が2束軒下に並ぶ。私は自分の所で麦も稲作も辞めたのだから、新聞紙を燃してもいいと思うのだが、母は許さない。
4ヶ月も寝ていたか。母は嬉しそうに隣家の奥さんと話している。入院当初パニック状態に陥った母が、しきりに名前を呼んだ人である。母が座っていた場所は、草を刈っておいたから早く戻ってきなと励ましてくれる。家の玄関から少し離れた道脇に、大きな安山岩がある。母は父の死後、そこに座って街道を眺めていた。私も最初は気づかなかったが、ある時、石の上に見慣れたタオルが敷いてあるのを見て、母がそこで時間を潰しているのだと知った。何時戻っても良いように掃除をしておいたと言う。
もう直ぐお盆。今年の迎え火は何を燃やそうか。
2006/08/07
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