『挫折だけが人生さ』と言うような中年男が感じる、故郷への慈しみを発信します。


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  それぞれのメール
 
 
3月にHPを開設してから、この24日で4ヶ月となる。3通のメールから始まり、多くの友人・知人より激励やアドバイスを受けた。お蔭さまで挫折することなく、1週間に1度更新している。私が自分のHPを開くのは、原則として朝の6時と夜は8時過ぎである。無謀にもアクセスカウンターを付けたので、トップページが開かれると、自然と目がそこに行く。そして数字が動いていると、誰が見てくれたのだろうかと思いを巡らす。楽しい一瞬である。
 HPを開設した当初は、何とかアドレスを知って貰いたいと考え、「HP開設のお知らせ」なる名刺を作り、部落の総会を初めとして、人の集まるところで配った。手づくりのHPを開設しました。嬬恋のマイナー情報を発信しますのでご覧下さい、とか何とか言いながら。一種の押し売りみたいなのものである。次に年賀状を引っ張り出し、メールアドレスの記載のある知人にHP開設を知らせた。アドレスの記載のあったものは、約150通の内の僅か3通であったが。次は電話である。面倒見が良く、PRしてくれそうな知人を選んで、休日の朝電話をかけた。
 何ヶ月も音沙汰が無く、私の事など頭の片隅にも無かったのに、朝早くからの電話で何事かと思ったに違いない。しかし、これは成功した。暫くすると、HPを見たと言うメールが私のOutlook Expressに飛び込み出した。それに従い、私のアクセスカウンターも徐々に伸びてきた。それぞれが懐かしい人達である。ある知人からのメールには、一枚の写真が添付されていた。生後数ヶ月の赤ちゃんの写真である。仕事の関係で私と付きあっていた頃は、飲み会の料理番であった青年が、1児の父である。嬬恋の時代が忘れられません、と言うような文字を見ると、流石の私も胸が熱くなる。
 一昨日は尊敬する先輩からのメール。幼い頃から後ろ姿を追っていた先輩である。一流企業の役員になっても、温厚で真面目な人柄は変わらない。中野区鷺宮の3畳一間を知っている1人である。先輩が帰郷したおり、例の名刺を厚かましくも渡しておいた。仕事に追われる日々の中、見てくれたとのこと。私が先輩の寮を訪ねた事などが書き添えられ、心は鷺宮時代にフラッシュバックである。そして昨日は、東京でのサラリーマン時代の同僚より、「よおっ」の挨拶が入っていた。少々体調を崩しているが、嬬恋の風景が懐かしかったと書かれていた。そう言えば、彼も嬬恋を何回か訪れた一人で、確か家族で我が家に寄っている筈である。
 何でHPなのか、と言う難解な質問を寄せた友がいる。「言葉おりおり」のスタートで書いたが、私の中でも充分消化出来ていないのが実情である。何をやりたいのかはっきりしない、と言う指摘も受けた。これも納得できる。私の人生の如く、アヤフヤで曖昧模糊とした部分があるのだろう。これらの指摘については、これからの更新で自分自身の答えを見つけて行きたいと思う。 立ち尽くさないために。

 2006/7/17
 01 手作りのホームページへ
 02 3通のメール
 03 エナメルの上履入れ
 04 母の入院
 05 3畳一間
 06 母を見舞う
 07 牛乳とクリームパン
 08 家紋
 09 下宿先は
 10 一喜一憂
 11 電報
 12 根無し草
 13 中野区鷺宮
 14 梅雨の最中
 15 夏日
 16 ハムエッグ

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