ハムエッグ
東京での一人暮らしがスタートした。3畳一間である。台所もトイレも大家と共用。父と娘二人の三人家族に、坊主頭で褐色に雪焼けした田舎の15歳が飛び込んだ訳である。入試が終わった後、私はスキーに明け暮れていた。母親に掬びを握って貰い、それを持ってバスでスキー場へ行く。そして、最終のバスが出るまで滑っていた。第2志望であったが、一応目的を果たして私は開放感に浸っていたのだ。雪焼けのことなど考えてもいなかったが、流石に真新しい学生服を身につけると、どこか不釣合いで野暮ったい15歳である。後日、家主の長女が私に言った。高校から東京に出てくるなんて、色白の秀才タイプかと思っていたら、真っ黒な顔した坊主頭の少年が、瞳だけキラキラさせて入って来たのでビックリしたと。
この長女には鷺宮の2年間いろいろ世話になった。上京した翌日には、惣菜店や食料品店を案内して貰った。彼女は、アジのフライはどこが美味しくて安いとか、野菜はこの店が新鮮だとか、懇切丁寧に教えてくれた。早く母親を亡くし、主婦として父親と妹の面倒を見てきたのだろう。彼女には家庭の匂いがした。私が朝眼を覚ますと、彼女は台所で朝食の支度をしている。夕方学校から戻ると、洗濯物を取り込んでいる。今振り返ると、そんな光景が次から次へと浮かんでくる。しかし、妹の方はと言うと、余り親しく話をした記憶がない。年が同じと言う事で、お互いに避けていたのかも知れない。
私の朝食は簡単である。普段は白米に海苔に生卵。米は寝る前に1合炊きの電気釜に研いでおき、朝、眼が覚めるとスイッチを入れる。布団を畳んで押入れに入れ、そこにコタツでテーブルを作る。ラジオを聴きながら時間表でも合わせていると、1合の米が炊ける。下に降りて、大家の冷蔵庫から自分の卵を持ち出せば朝食である。たまには、長女が余ったからと言って焼き魚などを分けてくれる。朝私が作るのは、最高でハムエッグ位である。ハムエッグなど田舎では食べた事も無いが、生卵ばかりの毎日に呆れたのか、ある朝長女が教えてくれた。これ以外にも、彼女には野菜炒めやチャーハンの作り方を教えて貰った。これらは今でも私の得意料理の一つだ。
朝食が済めば登校時間となる。大家の一家も同じ頃家を出る。最初に音も無く出て行くのが国鉄に勤める主人。その次が次女である。次女は私の高校と同じ沿線の女子高に通っている。駅が5つほど先なので、私より少し前に飛び出して行く。3番目に出るのが私で、最後が長女となる。この順番は大概変わらない。しかし、私が駅に着く前に、彼女は私を抜いていく。歩道の私を見つけると、横でベルを2つ鳴らして疾走していく。長女は同じ区にある商業高校に自転車で通っていた。私はスカートの裾をなびかせて、遠ざかって行く彼女の後ろ姿を追いながら駅に向かう。街は落ち着いている。総菜屋や八百屋の戸は閉まり、動いているのは駅に向かう人々の群れ。群れは駅に近づくに連れて数を増す。彼女が消えて行った踏切の反対側からも人々が流れてくる。カンカンカン、警報器が鳴りだす。流れが加速する。私も遅れまいと改札口に向かう。
私の東京が始まる。幾つもの忘れがたい思いを胸に刻んで。
2006/07/10
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