『挫折だけが人生さ』と言うような中年男が感じる、故郷への慈しみを発信します。


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  夏日
 
 
梅雨の晴間。じっとしていても汗ばんでくるような蒸し暑い日が続く。私は姉から連絡を受け、母の病院に向かった。母の措置について、病院側から話があると言う。少なからず予期していた事だ。月が替れば入院生活も3ヶ月となる。病院としても何らかの対応が必要なのだろう。3ヶ月を過ぎると診療報酬が低くなると聞いている。私は窓越しに襲う粘り付くような熱さの中、車を走らせながら対応を考えていた。医療から介護の世界に移るのか。いずれにしても、入院当初は最悪の事態も覚悟したが、いよいよ退院が近づいている事だけは確かだ。
 私は階段をゆっくり上がる。そしてナースステーションの前に出る。すると母はそこにいた。車椅子にチョコンと座っている。まるで乳母車の中の赤児の様だ。髪を洗って貰ったのか、若い看護師がヘアードライヤーをあてていた。私がカウンター越しに覗き込むと、看護師は私に気づき、入っていいですよと言う。なかなか愛想がいい。私がナースステーションに入って行くと、彼女はドライヤーを切り、母に子供さんですよと話しかける。母は私の方を見るが、相変わらず直ぐには反応しない。少しして私の名前を呼ぶ。私が忘れられたかと思ったと冗談を言うと、彼女はクスと笑ってそんな事は無いですよね、と母に話しかける。そして、作業が終われば連れていきますから部屋で待っていて下さい、と続ける。私がナースステーションを出ると、直ぐ横から私を呼ぶ声がした。師長である。
 私は待合室の椅子に座り、師長の話を聞く。肺炎は治癒し、現在は投薬だけで点滴の必要はない。午前と午後の2回、萎縮した体のリハビリを行っている。3ヶ月間のベッドでの生活と92歳と言う高齢のため、入院前には戻っていない。立つことは無論、寝返りも一人では出来ない。その事は私も承知していた。3度の食事は姉が世話をしていた。姉は朝7時と昼の12時、そして夜6時に病院に来て、母に食事を摂らせていた。好き嫌いが激しく我が儘な母をおだてたり、脅したりしながら少しでも多く食べさせようと懸命になっている。師長は続ける。症状が安定してきたので、回復期病棟に移りリハビリを行いたい。高齢なのでどこまで回復でするか解らないが、出来るだけ入院前に近づけたい。但し、回復期病棟の目途は約1ヶ月。この間に、自宅で介護するか、施設を使うか考えておいて欲しいと言う。担当医は何とか元の状態に戻して、嬬恋に戻してやりたいと言っているとのこと。
 私が1ヶ月後どうするか考えていると、母の車椅子が戻ってきた。若い看護師は、少し話しをしてやって下さいと、私の横に車椅子を滑り込ませた。私は改めて母を見る。顔は一回り小さくなったが色艶はいい。私は母に話しかける。もう少し頑張れば家に帰れるから、一生懸命リハビリをするように。すると母は、迷惑を掛けて悪いと言う。そして、いつものように2人の娘は元気かと聞く。元気で帰ってくるのを待っていると話すと、母は突然右手を額に持って行く動作を始めた。5回ほど繰り返すと、今度は左手で同じ仕草をする。腕のリハビリなのだろう。母は黙ってその動作を繰り返す。少し額が汗ばんでくる。私はもういいと言う。すると母は、はいと返事をする。外は夏日。

2006/7/3

 01 手作りのホームページへ
 02 3通のメール
 03 エナメルの上履入れ
 04 母の入院
 05 3畳一間
 06 母を見舞う
 07 牛乳とクリームパン
 08 家紋
 09 下宿先は
 10 一喜一憂
 11 電報
 12 根無し草
 13 中野区鷺宮
 14 梅雨の最中

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