『挫折だけが人生さ』と言うような中年男が感じる、故郷への慈しみを発信します。


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  根無し草
 
 父方のただ一人の従姉が母の見舞いに来るというので、予定を変更して母の入院している病院に向かった。自分の母親を亡くして未だ幾日も経たないのに、わざわざ出かけてくれる事に酷く恐縮した。私は伯母の入院も知らずにいたのに、従姉の義理堅さに頭の下がる思いである。家紋を聞かれて直ぐ答えられなかった自分を、従姉はどう思っただろうか。本来、長男と言う立場で帰郷した以上、主でなければならないのだが、自覚に欠けていると言われても、反論が出来ない。そもそも、結婚して子供が出来たとき、取り立てて男子が欲しいとは思わなかった。女の子で結構、もし自分に似た男子が生まれたら、旨く子供を育てていく自信が無かった。私が母親に反抗したように、「倅」は必ず私に反発するような気がした。代々家を継いで行くという事の意味が、私には解っていない。妻から生活感が足りないとよく言われるが、私には何処か根無し草の部分があるのだろう。
 従姉はK市に住む叔父と一緒にやってきた。従姉の叔父は私も良く知っていた。父親が元気な頃は、嬬恋の近くまで来ると家に寄ってくれた。非常に世話好きで温厚な紳士である。伯母の忌明けの席で、父のK市時代の思い出を私に話してくれた。私の父は若い頃K市で生活していたが、二人の兄が戦死したために、家に呼び戻されたと言う。やりたい事もあっただろう。父はどんな気持ちで帰郷したのだろうかと考えると胸が痛い。今となっては知るすべも無いが、私は父に家を継いで欲しいと言われた事は一度も無い。私が東京に出たいと話した時も、母はいろいろ愚痴をこぼしたが、父は思いの外あっさりと同意した。従姉の叔父は、私の知らない父の青春の一齣を、暖かく語ってくれた。私は胸を熱くして聞いていた。
 二人を病室に案内すると、姉が私達を待っていた。母はリハビリに出たとのことである。20分位で戻ると言うので、待つことにした。少し熱はあるが、予定通りメニューをこなすと言う。従姉が来ることは話してあるが、伯母の死については伏せている。従姉は3年ほど前に母から電話を貰い、話をしたと言う。母は寂しくなるとこっそり誰かに電話する。ちょうど父親の一周忌の頃である。そのころ、よく隣家の塀にもたれて往来を眺めていた。父の死直後は私も気を使っていたが、一年経って、母への気配りを忘れかけた頃である。
 母が車椅子に乗って戻ってきた。従姉はそれに駆け寄り腰を落として、叔母さん解る、と問いかけた。母は大きく頷く。看護士が母をベッドに寝せる。未だ一人では無理なようだ。従姉は、顔色が良いね、と母に話す。すると母は、こんな姿になって、と答える。そして、伯母は元気かと続ける。私は従姉の顔を見た。従姉は大丈夫と答える。母を亡くして一ヶ月も経っていないのに、見舞いに来てくれた従姉とその叔父。従姉は母の枕元で、元気になって嬬恋に帰って、と母を励ます。母は帰れるかなと呟く。従姉は、大丈夫、頑張れば帰れる、と母を元気付ける。私と姉は黙ってそれを見ている。

2006/6/12

 01 手作りのホームページへ
 02 3通のメール
 03 エナメルの上履入れ
 04 母の入院
 05 3畳一間
 06 母を見舞う
 07 牛乳とクリームパン
 08 家紋
 09 下宿先は
 10 一喜一憂
 11 電報

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