『挫折だけが人生さ』と言うような中年男が感じる、故郷への慈しみを発信します。


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   家紋

 
伸び出した雑草をむしり始めた途端、胸のポケットで携帯が鳴った。ドキッとする。仕事で忙しく動き回っていた頃は、しばらく携帯が鳴らないと、疎外されたような感じがして不安になったものだが、仕事を辞めてからは、忘れた頃にしかかってこないので、着信音が響くと何事かと不吉な気分になる。携帯を開くと家からであった。K市に住む伯母が亡くなって、我が家の家紋が至急知りたいとのこと。作業を中断して家に戻る。父親は3人兄弟で、2人の兄は戦死していた。父親だけが生き残って我が家を継いでいた。伯母には娘が1人いて、昔は時々顔を見せていたが、父の死以降は交流も途絶えがちであった。しかしながら、私にとっては父方のたった一人の伯母であり、たった一人の従姉である。それも、写真でしか父親を知らない従姉である。
 家に戻って祖父の遺影を引っ張り出した。確か家紋が入っていたような記憶がある。恥ずかしいながら、家の紋が即座に浮かんでこないのだ。○に何の葉だったか。額縁に入った家紋が応接間に架かっている家もあるが、私で3代目の我が家にはそういうものも無かった。しかし、私の記憶違いで祖父の遺影に家紋は入っていなかった。私は風呂敷を開いて2人の伯父の写真を見る。長兄は背嚢を背負って日の丸を手にした軍服姿。多分戦地に赴く時の写真だろうと想像がつく。次兄の写真も軍服姿。盆と彼岸にしか目にする事はないが、家紋を聞かれてアタフタする自分が情けなく、セピヤ色の写真に謝る。
 いよいよ焦った私は本家に電話して聞く事にした。しかし本家のおばさんも、突然の話に戸惑ったのか、直ぐには思い出せない様子で、父の羽織か母の留袖を見ろと言う。そういえば「紋付袴」と言う言葉があることを思い出し、私は箪笥を開けた。直ぐ母の留袖が見つかり、そこには家紋が描かれていた。そうだ、○に蔦だ。これが我が家の家紋である。
 早速私は従姉に電話する。○に蔦ですと伝え、葬儀の日程を聞く。そして、明日そちらに向かいますと伝える。電話を切った私は、祖父や伯父の遺影を再び風呂敷に包み仏壇に乗せる。15歳で東京に飛び出した私には、家というものの重さが結局解っていないのだと思いながら。

2006/5/15
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