『挫折だけが人生さ』と言うような中年男が感じる、故郷への慈しみを発信します。


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    春めく日

ここ数日一気に春めいてきた。家の横の坂道をトラクターがエンジン音を吹かして上っていく。土手の陽だまりでは水仙が黄色い花を付け、一陣の風に揺れている。梅のつぼみもだいぶ色づいてきた。雪に押しつぶされていたイヌフグリが星屑のように光っている。

母の1年忌の日取りを決めた。先日菩提寺へ出向き打ち合わせてきた。父の七年忌と祖父母の三十三年忌も合わせて行うことにした。母が生前祖父母の最後の供養をしていないことを気に掛けていたと妻に言われ、私もその気になった。祖父母が亡くなってから何年たつだろうか。

祖父は私の学生時代、祖母は私が就職した1年目に亡くなった。祖父の葬儀は、丁度学年末試験と重なり立ち会うことが出来なかった。この時私は神奈川県のY市に移っていた。大学に入り時間に余裕ができたので、姉夫婦の近くに間借りし、食事の面倒を見て貰っていたのだ。三食そこで済ますことは殆どないのだが、何より、いつでも食にありつける安ど感は格別である。

結局、姉達が近くの分譲住宅に移ると、今度はそこに居候を決め込んだ。就職して寮に入るまでの4年間そんな生活が続いた。今となっては食費をいくら払っていたのかさえ思い出せない。2階の4畳半に陣取り、好きな時間に寝て必要な時に起き出して、登校する。私の人生で一番優雅な時代であった。

とうの昔に三十三年は過ぎているのだが、菩提寺に相談すると、遅れても大丈夫ですと言われ併せて供養する。母が気にかけていたことは私も承知していた。ただ、私も妻も子供を育てるのに忙しく、心の中にそれだけの余裕がなかった。母からそれとなく持ち出されても、私はあえて知らん振りをしていた。きっと我儘な母はイライラしていただろう。

早いものだ。そんな母が息を引き取ってからもう1年になる。生前は喧嘩ばかりしていたが、心のどこかに空洞ができ、それがなかなか埋まらない。前橋から隣町まで帰ってきたのに、結局一度も家に戻ることなく、再び前橋に移してしまったことを考えると、ひどく落ち込んでしまう。

今でも何かの拍子にベッドに横たわっている母の姿が頭をよぎる。するとそれが、妹を背負って私の手を引く若い頃の母や、腕白な弟を追いかけ回している少し年老いた母の姿にだぶって、私は思わず天を仰ぐ。

2008/04/08

 26 秋雨前線
 27 イナカッペ
 28
 29 油蝉
 30 折込み
 31 カルピス
 32 銀杏
 33 大丈夫
 34 赤トンボ
 35 急行列車
 36 寒暖計
 37 こけし人形
 38 みぞれ
 39 土曜日
 40 シメナワ

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